未来の子供たちに語り継がれてゆく戦艦大和の歴史を尋ねて・・・
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今回訪れているのが、日本一の海軍工廠の町と称された「呉(くれ)」です
大和ミュージアムなど戦争の歴史を振り返りながら、今の日本の海を守る海上自衛隊の基地見学など、沖縄では見ることの出来ないセカイに驚きです
今日の日記は、シルバーウィーク前に訪れた時に見学してきた「大和ミュージアム」のお話です
【 撮影日 2015.9.12 広島県呉市 大和ミュージアム 】
シルバーウィーク前のお休みの日、弟のほうから広島県呉市の海上自衛隊呉基地の護衛艦見学で、「護衛艦あぶくま」がくるよーと聞いたので、予定をちょっと早めて広島旅行に訪れました
見学は日曜ということで、この日訪れたのが・・・

海軍工廠のまちとして栄えた呉市一番の観光スポット「呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム」です

今年でちょうど開館10周年を向かえ、入場者数がなんと1千万人!とものすごい人達が訪れているんだなぁ~と感心しながら、早速入館です♪
入館してすぐ目の前にあるのが・・・



実物大の戦艦大和を忠実に再現した10分の1模型が館内にどーん!と設置されていました
全長が26.3mもあるということですが、実際どのくらい大きいのかというと・・・

大人の方と比較するとこんな感じ・・・すっごく大きいですよね~
模型がおかれている1Fには、戦艦大和の歴史や広島県の呉市がなぜ海軍の町として栄えたのかといった資料などが多数展示されています

特に戦艦大和の極秘設計図や沈没地点で発見された大和の備品などが数多く展示されており、時間がいくらあっても足りないくらいでした><


展示室の資料をま~ったりと読みふけったところで、再び10分の1大和を見ながら、戦艦大和のお話をしていきたいと思います

戦艦大和は、ロンドン海軍軍縮条約の失効を1年後に控えた1934年(昭和9年)、失効後にアメリカやイギリス海軍が建造するであろう新型戦艦に対抗するために生まれました

これは大和ミュージアムの外に展示されている戦艦陸奥の41cm主砲の砲身です
当時、41cm主砲を装備した戦艦長門や陸奥もありましたが、すでにアメリカやイギリスでも同じ射程の主砲を装備した戦艦があったので、これらをはるかに上回る主砲として18インチ砲(46センチ砲)を装備した超大型戦艦の建造要求を出されました


ですが当時は、航空技術の飛躍によって航空戦力は、近い将来に戦艦を撃沈しうるものになるということで、大鑑巨砲主義の戦艦大和建造よりも空母や艦載機などの開発に力を入れるべきという飛行将校たちの批判や反対もあったそうです

しかし当時、航空機は敵艦の索敵や戦艦の制空援護や弾着観測射撃のためといった艦隊の補助戦力とみなされており、多くの議論の末、1937年(昭和12年)8月21日、米内光政海軍大臣から第一号艦製造訓令「官房機密第3301号」が出されると、5年後の1942年(昭和17年)6月15日を完成期日としてここに第一号艦の建造が始動され、呉市にあった呉海軍工廠の造船船渠で始まりました


1940年に竣工した戦艦大和は、当時世界最高の水準の戦艦で、日本の技術の粋を結集した最高傑作戦艦と称されています
そのひとつが艦首にあるこのバルバスバウとよばれる球状艦首です

これは、造波抵抗を打ち消すためのこぶで、これにより速力が向上され、今日のほとんどの船がバルバスバウを採用されております
そのほかにもブロック工法や製鋼技術や光学レンズなど数多くの革新的な技術が、今でも様々な分野で生かされており、ものづくりの国日本の技術発展に大いに貢献されています

そんな最高傑作と称された戦艦大和ですが、驚くことに第二次世界大戦中の戦果はあまりありませんでした
なぜなら、このときすでに戦艦同士による艦砲射撃ではなく、航空機による雷撃や爆撃が艦隊戦闘の主流になってしまったのです

そう、真珠湾戦闘で日本が編み出した航空機による機動部隊の戦闘が、皮肉にも戦艦同士の艦隊決戦論から航空機による航空戦へと転換してしまったのです
その結果、レイテ沖海戦の一つであるシブヤン海海戦において、大和型2番艦であった戦艦武蔵がアメリカ軍の艦載機による多数の雷撃によって撃沈されました
その戦訓を考慮して、大和は二度目の近代化改装において、対空戦闘を考慮して、左右にあった15.5cm副砲を撤去し、対空機銃を多数装備されました

そう、当時世界一の主砲と称された46cm三連装主砲は、その実力を最後まで発揮することがなかったのです
そして、1945年に戦艦大和の最後の任務が与えられました
それは、沖縄本島に上陸戦を展開するために終結しつつあるアメリカ軍の大艦隊に対抗して、沖縄へ水上特攻したのち、わざと座礁させ浮き砲台としてアメリカ海軍を迎撃する「天一号作戦」です

「本土決戦 1億総玉砕」のさきがけになってほしいという軍部の命を受け、大和は沖縄までの片道分の燃料を搭載し、もてるだけの砲弾を乗せ出港、数少ない駆逐艦や軽巡洋艦に護衛されつつ、沖縄へ向けて出向しましたが、すでに大和の姿を補足していたアメリカ軍の空母艦載機との激しい戦闘が始まりました
これが、数多くの映画にもなり、戦艦大和の最後の戦闘として有名な「坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさきおきかいせん)」です
すでに制空権を失っていた日本軍は、約400機ものアメリカ軍の航空機による波状攻撃にあいました
日本軍は、波状攻撃してくる戦闘機に対し、対空機銃により対空戦闘が展開されましたが、勝敗はすでに決していました


アメリカ軍は、戦艦武蔵との戦闘において、その強固な装甲と防水区画に苦戦しており、その対抗策として、大和の左舷側に魚雷を集中させ、浸水による転覆を狙っていました

皮肉にも大和の必殺武器であった主砲は、戦闘機にはほぼ無力で、1945年4月7日14:23 に世界最高の戦艦大和が沈没しました
ここまでが戦艦大和の歴史ですが、悲しい歴史の後にはまだまだ続きがあります
終戦後、戦艦大和で培われた造船技術は、現在日本の造船技術を始めとする様々な分野での技術に生かされ、その結果、戦後約10年ほどで、日本が世界一の造船国として発展しました
そう、戦艦大和で培われた技術が未来へと受け継がれていったのです
大和ミュージアムには、そんな科学技術を子供でもわかりやすく楽しく知ってもらおうと体験施設も充実しています



願わくは、戦争のない明るい未来のために・・・と思いをこめて、大和ミュージアムのお話を終わりたいと思います
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